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約10万年前頃に、背後の丘陵前面の浸食谷に古砂丘が発達、その上を約5万年前の大山火山の活動で噴出した大山倉吉軽石が覆って、水が浸透しなくなったことが成因とされている。多鯰ヶ池は 山陰最古の堰止湖 

多鯰ヶ池出典:ウィキペディア

鳥取砂丘の背後に位置し、森に囲まれて透明度の高い水をたたえ、鳥取砂丘の起伏の大きな景色と好対照をなしている。

池の周囲3.4km、面積は24.8ha、最深部の水深は15.1mで、中国地方最深の池である。透明度は3-4mある。

山地に面した南東側は湾入部の多い複雑な地形で、砂丘に面した北西側は直線で、砂丘から急斜面で最深部に達している。

夏季の灌漑用水路として利用されている湯山用水以外に流入河川も流出河川もない。

池の周辺には多くの遺跡があり、古くから砂丘の休止期に先人が生活していたことが分かっている。

多くの湖沼と同様に蛇伝説がある。

2001年、環境省によって日本の重要湿地500に選定された。

北西部に位置する、弁財天を祀っている半島はかつては「大島」と呼ばれる湖沼内の島嶼であった(江戸時代の古地図等で確認できる)。それが砂丘の進出に伴い埋め立てられ、砂で陸続きとなった。他にも多鯰ヶ池には幾つかの島嶼の記録があるが、大部分は中央部に位置する暗礁であり、夏期などの大きな池面の減衰が起る期間に姿を見せる。冬期の増水期も池面から姿を覗かせているのは北東部に位置する通称「小島」であり、それがまさに蛇伝説の舞台となった縁のある島である。「小島」には、伝承通り一本の大きな樹木が生えている。

多鯰ヶ池の名称の由来:なまず(鯰)が多い池(:多かった池)

流入河川も流出河川もない閉鎖水域で、珍しい貧栄養湖のため、特殊な動物相を有し、貴重な生態系をみせていた。しかし、1980年代にオオクチバスが侵入し、貴重な生態系は破壊されてしまった。

多鯰ヶ池の研究 : 但馬往来(灘通り、中道通りと湯山池・細川池、摩尼寺を経由する山道通り

多鯰ヶ池は堰止湖 → Lake TANEGAIKE カヤックは湖上カヤック Lake KAYAK

同じく堰止湖の湖山池の英語表記は Lake KOYAMA、即ち、湖山湖。東郷池は東郷湖。湖の名称が“池”表記の山陰地方

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